2014年04月29日

家紋の調べ方

◆お墓に彫られている家紋

まず最初に確認して頂きたいのがお墓です。
仏壇や着物、袱紗(ふくさ)などにも家紋が入っていることはありますが、
お墓に彫られている家紋を確認する方が確実です。

◆お墓に家紋が彫られていない場合

本家が分かる方は本家に聴く、もしくは本家のお墓を確認してみてください。
特に変更した形跡がない限り、本家の家紋があなたの家の家紋です。
これで分からない場合は少々手間がかかります。

家紋の調査方法
本家も家紋が分からない場合、調べたい家の最も古い戸籍(明治時代のもの)を
取得してください。また、そもそも本家が分からないという場合も古い戸籍によって
本家が分かることがあります。

※戸籍は誰のものでも取得できるわけではありません。
 法律上、直系のご先祖様が記載されているものに限られます。

古い戸籍を取得したら、戸籍に記載されている本籍地が現在のどこにあたるのかを 調べます。

※インターネットで調べるか、市町村役場に問い合わせます。

現在の地名・番地などが分かったら、その場所や近所に同姓の家を探し、
連絡してみましょう。その同姓の家が古くからその場所に住んでいるようであれば、
おそらく遠い親戚にあたるはずですので、同じ家紋を使っていることが考えられます。

※同姓の家の存在は電話帳や住宅地図などで調べます。

古い本籍地やその近所に同姓の家がないという場合は、少し範囲を広げ、その地域にあるお寺や
墓所で同姓の家を探してみましょう。同じ地域に住む同姓の人達はどこかでつながる可能性が高く、
場合によっては、その地域の同姓は皆同じ家紋を使っているということもありえます。

以上が一般的な家紋の調べ方になります。

同姓を探して連絡を取る場合、いきなり電話や訪問をするのではなく、手紙などで自分の素性や
目的を明らかにしてから連絡をした方がスムーズに進むはずです。
手間はかかりますが、今まで知らなかった事が分かったり、新たな出会いがあるかもしれません。

◆家紋は自由に選べる

ご先祖様が住んでいた地域に本家がなく、菩提寺や墓も分からない、遠い親戚も同姓の家もない
というような場合は、残念ながら、家紋が見つかる可能性は低いと言えます。


調べても家紋が分からない場合は、自分で選んでみてはいかがでしょうか?

家紋は苗字で決まっているわけではありません。
戸籍や登記簿に登録されてもいません。

著作権もありませんので、自分が気に入った家紋があれば、自分の代から
その家紋を使用することに決めても特に問題はないと思います。

家紋選びの参考資料として、苗字と地域から家紋分布の特徴が分かる本が
あります。少し大きめの図書館に行けばあるはずです。この本を参考にして、
家族・親戚と相談しながら、家紋を選ぶのも一つの方法です。

また、最近では個人の人柄や趣味などを聞き取りして、オリジナルの家紋を
作成してくれるサービスもあるようです。

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posted by 伊藤淳子 at 18:47| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月04日

家紋とは

家紋とは、日本において家を識別するための紋章である。紋所、紋とも呼ばれる。

一例を挙げると、水戸黄門の印籠に描いている、葵の紋所が有名。

概要
古くより日本で血筋、また家系を表す印として家紋が用いられてきた。家紋を車や衣服、道具につけ、家のシンボルとしたのである。

身近なところだと、和服(「紋付袴」の「紋」は家紋のことである)や半纏などに家紋が描かれていたりする。一族が眠る墓や寺院にも見られる。また、会社や自営業者が社章などに家紋を用いることがある。例えば、三菱グループの標章「スリーダイヤ」は創業者岩崎弥太郎家の家紋「三階菱」から取られたものである。

欧州では騎士や王族の持つ紋章が知られるが、これは権威を示すために紋章を持つという意味合いが強い。これほど一般庶民にも紋章が広まったのは日本のみで、家紋は日本独自の文化と言って良い。

苗字・家紋研究家の丹羽基二によると、日本には2万程度の家紋が存在するとされる。同一氏族で家紋を共有することが非常に多く、その為家系の調査では家紋も重要視される。

家紋を描く職人を上絵師(紋章上絵師)といい、手描きで紋付袴に家紋を描き入れている。

家紋は平安時代後期、藤原実季が牛車に巴紋を用いたことが初見とされる。そのことから、家紋は当初公家社会の中で広まったものと考えられる。

当時、公家といえば強大な権力を誇った藤原氏ばかりであった。藤原氏だらけで誰がどこの藤原さんかよくわからなくなったため、家を識別するために家紋が広まったのだ。なお、同じ頃公家の間で苗字の使用も始まったようである。

その後、鎌倉時代にかけて武家の間でも家紋を用いるようになった。どの軍、どの勢力かを示すのには軍旗を用いていた。源平合戦では源氏方が白旗、平氏方が赤旗を掲げていたが、その頃はまだ家紋を旗に入れる必要はなかったのである。ところが鎌倉幕府が成立し、源氏の世になると、白旗ばかりでどの旗がどの武将を示すのかよくわからなくなってしまった。

さて、ここで家紋の出番である。武将たちは自らの勲功を示すために自分の家に縁のある図形を作った。旗、さらに武具や馬具など様々なものに家紋を施し始めたのである。やがて室町時代から江戸時代にかけて家紋が庶民にも広まった。当時庶民は文字を読めない者も多かったが、家紋は一目でどの家かわかる印だったのである。特に江戸時代は庶民は苗字の公称ができなかったこともあり、爆発的に増えたと考えられる。

沖縄の家紋

第一尚氏の時代より、尚氏王朝は「左御紋」(本土の左三つ巴と同形)と呼ばれる図形を紋章として使用していた。その後第二尚氏が琉球を統治したが、第二尚氏は変わらず左御紋を用いていた。当時は、紋章は尚氏王朝のみの特別なものとして扱われていたようである。

沖縄に本格的に家紋が根付いたのは、薩摩藩島津氏の琉球出兵からとされる。目結紋や引両紋など、本土と同形のものも多く見られるが、沖縄独自のものも多い。動植物紋はそれほど見られず、幾何学的な図形の紋が多い。

庶民の間では屋判と呼ばれる紋が士族より与えられた。物品につけられ、どの家の物かを示すために用いられた。竹富島では文字を読めない庶民が士族から屋判をもらうために米や藁など様々なものを贈ったと伝えられている。

家紋のいろいろ

家紋は一家に一つであると思われがちだが、複数の家紋を持つ家も存在する。それぞれ定紋、替紋、女紋などと呼ばれ、用途によって使い分けられていた。

家紋は、分家などがあったりするとその一部を変えて、分家の家紋にすることがよくあった。婚姻により、それぞれの家の家紋を合わせたデザインの家紋を創作することもよく見られる。また、主君が臣下に家紋を授けたり、逆に臣下が主君に家紋を献上したり、敵から家紋を奪い取ったりするなど、家紋はよくやり取りされた。そのため、一家に家紋が増える原因となったのである。皇室が家紋の菊紋や桐紋を積極的に与えたことが知られる。

例えば、織田信長の織田氏は越前国織田荘(現福井県丹生郡越前町織田)の出で「木瓜」を家紋としていた。後に平氏の末裔を称するようになり、平氏のシンボル「揚羽蝶」を用いるようにもなった。後に足利義昭に「五三桐」「二つ引両」を与えられ、更に「永楽銭」も用いるようになった。この通り、家紋は一家に一つだけとは限らないのである。

定紋
家で使う公式の紋。表紋、本紋とも。
替紋
婚姻、創作などにより増えた家紋。定紋とは別に時と場合によって用いた。別に定紋より格が低いわけではない。別紋、裏紋、副紋、控紋とも。
女紋
女系に伝わる紋。関西地方を中心に見られる風習で、嫁いだ女性も自らの家の家紋を用いることがあった。
家紋の描き方
動物や植物などを象った複雑な文様はともかく、幾何学的な文様はアナログなら紙とコンパスと定規さえあれば、デジタルならお絵描きツールさえあれば補助線を引いて簡単に描くことができる。上絵師の世界ではこの描き方を「割り出し法」という。

現代の家紋
現代では家紋はあまり用いられなくなり、年長者も自らの家の家紋を知らないということが増えた。紋章上絵師の数も保護が必要なほど少なくなった。

しかし、その多種多彩なデザインは人々の心を引きつけ、家紋を用いたアクセサリーやハンカチ、シャツなど徐々に人気を集めている。

海外でもいわゆるジャポニズムの流れで家紋の異国情緒あふれるデザインに魅了された人々がいる。たとえば、ルイ・ヴィトンのモノグラムは日本の家紋に影響を受けてデザインされたものである。

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posted by 伊藤淳子 at 19:10| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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